【戦後100年に向けて①】終戦記念日が過ぎても、歴史や戦争についての沈思は続きます。そこで、8月15日に靖国神社、6月に沖縄・糸数のアブチラ壕へ慰霊に伺ったこともあり、今回はアジア・諸外国のことは容赦頂き、日本に限定した、遅い戦後70年考を書いてみました。

【A:戦争遂行システム(戦時体制)の一部が、平成の今も現役な件】=源泉徴収制度、記者クラブ制度、メインバンク制、国税・直接税中心の税制等は、多くは1940年前後に、戦争遂行の効率化・円滑化のために創られましたが、平成の現代においても基本的な部分は継承されています。これが、戦後日本は、軍部、内務省、地主等が解体された1945年以降に始まったのではなく、戦後も温存された戦争の為のシステムが、戦争よりもむしろ高度経済成長に貢献したので、1940年から始まったのだという視点(=戦後日本は、1940年体制である)です。この点において、戦争は、遠い過去のことだと片付けられず、現代への連続性と未来に対して、どう向き合い、言論・メディアや、社会システムをどうしていくのかを問い続けて行かねばなりません。

【B:日本人戦没者310万人の多くが理不尽な最期である件】①日本人戦没者(軍人)230万人の約6割が戦病死・餓死であった ②日本人戦没者310万人(軍人/民間)の約半分は、終戦直前の僅か半年間(1945年3月〜8月)での死者であった(アジア全体で亡くなった方々は2000万人以上です)③約4000人が亡くなった神風特攻隊の敵軍への命中率は僅か11%であった。こういった理不尽なデータを前にして、先達の指導者、国家システムへの徹底検証を踏まえ、今に活かしていく作業が不可欠です。

【余談ですが、卒業した高校の校歌が、今も軍艦マーチである件〜自分の原点】私が卒業した県立盛岡第一高校の校歌メロディーは、戦前から平成の今に至るまで、軍艦マーチです(昭和43年甲子園で校歌斉唱されると騒然となったそうです)またOBには、米内光政(終戦時の海軍大臣、東条英機首相の2代前の総理大臣)、板垣征四郎(陸軍大臣、満州事変時の関東軍参謀長、

A級戦犯)、及川古志郎(海軍大臣、終戦直前時の海軍軍令部総長)といった戦争の軍人指導者を輩出する一方で、宮澤賢治や石川啄木など、宇宙的・地球的思想家や歌人・文人といった両極端な分野で人材輩出しています。自然と高校時代から、その先輩達に興味を持ち、特に戦争指導者の人間そのもの、さらに言えば、母校や東北から主要な戦争指導者が輩出されている点(他に、石原莞爾も山形、東条英機の父親も岩手)に強い問題意識を持ちました。そして、2011年の東北・福島における原発事故。先の戦争と原発における東北の精神風土と歴史的経緯の連続性・共通性は、自分自身の掘り下げるべき永続的テーマになっています。

ここで引用コメントです。

戦後70年靖国 アブチラガマ墓・「国体護持を叫びながら、軍も重臣も官僚も責任ある決断から逃げ回った。そして結局、昭和天皇がすべてを負った。(松本健一氏)」

・「戦死された方々の覚悟・魂は崇高であるが、その尊い物語によって、国家や戦争指導者の失敗や愚かさを覆い隠し、その検証を曖昧にすべきではない。(戸高一成氏)」

・「情報は、本来リスクを回避するために追求される。しかし日本型組織では、往々にして自己都合を正当化するために選別されるのである。(小谷賢氏)」

・「日本を破滅させたのは、何も決められず、何も変えられず、誰も責任をとらないという近代日本のエリート集団自体の無能であった。東條英機はむしろ、その秀才達の象徴といっていい。東條が一身に責任を負わされていること自体、日本の無能がいまだに改まっていない事の象徴なのである。(猪瀬直樹氏)」

皆、厳しいコメントです。このことを、平成の我々は、背負って行くこと、検証と学びを通じて乗り越えていくことが、2045年(戦後100年)に向けて不可欠なことです。